イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
出会いは深夜の交差点。「カッコいい人がいるな」と思って見つめていたら…
どの酒場にも人気者がいる。その人が席にいて飲んでいるだけで場が和み、華やかな雰囲気になるような客だ。店との相性が良いのかもしれないし、どんな酒場でも愛される素質があるのかもしれない。愛知県で看護師をしている岸本由里さん(39歳)が好きになった亮太さん(49歳)はそんな男性だった。話は2017年の冬にさかのぼる。
出会いは深夜の交差点だった。名古屋のライブハウスでベロベロになるまで飲み、宿泊先に帰ろうとしていた由里さん。交差点で信号待ちをしているときに見かけたのが亮太さんだったと振り返る。
「カッコいい人がいるなと思ってじーっと見ていたのだと思います。私、かなり酔っていたので……。彼と目が合って、『一緒に飲む?』と声をかけられた記憶があります。そのまま一緒に2時間ほど飲んで、連絡先を交換して普通に帰りました」
由里さんと亮太さんは同じブランドの腕時計をしていることでも意気投合。翌日も一緒に飲みに行く約束をした。
「彼の飲み仲間がたくさん集っている居酒屋に連れて行ってもらいました。この日も楽しく酔えたし、彼の笑顔がすごく好きだなと思ったんです。また名古屋で飲みたいね、と話して帰りました」
酔っていると開放的な気持ちになって勢いづくことはある。ただし、好意がある人に対して大胆になるだけだ。モテる人は男性からも女性からもさらにモテモテになり、モテない人は店員しか相手にしてくれなかったりする。人間の本性が出やすい酒場での現実だ。
もちろん亮太さんは「酒場でモテる人」の部類だ。由里さんによれば、彼は酔うと多弁になり、男女問わず距離が近くなる。女性によってはセクハラだと感じかねないが、清潔感があって話も面白い男性なので、それをきっかけに親密になることも多いようだ。
「翌月に2人でボーリングをしました。負けたほうが飲み代を払うという賭けをして、普段は下手な私が勝っちゃったんです。飲みの席もすごく盛り上がって、その日は彼と一緒に泊まりました」
不倫相手に自らの結婚生活や他の恋人についてベラベラ話す人の心境
それからは月3ペースで会うようになった。毎週ではないのは、亮太さんは月に1回は妻子が待つ自宅に帰るからだ。そう、彼は既婚者である。
「結婚していることは最初からものすごく正直に話していました。私の前にも付き合っていた女の子がいて、奥さんと別れて再婚したいぐらい好きだったそうです。私と会っていた頃も20代の子とも遊んでいるとベラベラ話していました。さすがにそれは嫌でした……」
不倫をする人には2種類に分かれる。結婚していることを隠して交際する人、隠さない人だ。後者の心境は、不倫相手には嘘をつかないことで自らの罪悪感を薄めつつ、「配偶者と別れるつもりはない。下手なことはしないでほしい」というメッセージを相手に伝えているつもりなのだろう。亮太さんの場合は、他にも「彼女」がいることを明かして、由里さんとの関係が深くなり過ぎることを防ぎたかったのかもしれない。
「私は彼に奥さんと別れてほしいなんて思っていませんでした。彼と会いながら、並行して他の出会いを探していたんです。でも、あの頃は彼が好きだったので、他の男性に目を向けることができませんでした」
既婚者と「割り切って」付き合っている独身者が陥りがちな罠である。相手の家庭を壊すつもりはなく、自分のほうも自由だと思っているが、頭と体は完全には連動しない。恋愛に夢中になっている体が頭からの指令を無視するのだ。そのままズルズルと10年間も不倫関係が続くケースはざらにある。
彼のおかげで「また誰かと一緒にいたいな」と思えるようになりました
2年後に転勤族の亮太さんは愛知県を離れることになった。由里さんにとっては幸運だったと筆者は思う。物理的な距離ができると、心身ともに冷静さを取り戻すことが多いからだ。
「彼が他県に行ってからも2回会いました。でも、簡単に行き来できるような距離ではありません。電話で別れたのは3か月後のことです。別れることができてほっとしました。でも、毎週のように会っていた人と会えなくなるのは寂しくて、しばらくは辛かったです」
よりを戻したいとは思わないけれど、その人の不在が苦しいと思うことはある。亮太さんのほうはともかく、由里さんは彼のことがちゃんと好きだったのだ。
由里さんには20代前半で1年間だけの結婚生活が破たんしてしまった過去がある。それを引きずっていたことを自分でも気づかず、いつの間にか男性を心から好きになれなくなっていた。
「離婚のことは今まであまり話せなかったけれど、彼には前の夫のことも本音で話せて泣くこともできたんです。そのおかげで、また誰かと一緒にいたいなと思えるようになりました」
シラフのときは他人に厳しく、由里さんの体型を揶揄するようなモラハラ発言もあった亮太さん。でも、担当部署が変わって看護師としての自信を失いかけていた由里さんに対して、「すごくいい仕事をしているよ」と励ましてくれたこともある。彼自身、飲み歩くのは気分転換に過ぎず、仕事には真剣かつ前向きに取り組む人だった。
過去の恋愛はいい意味での「踏み台」にすべきだと筆者は思う。相手をすごく好きになりケンカもした経験は、きっと次の恋愛に生きてくる。失恋はあなたを優しく魅力的な人間にするのだ。
由里さんの幸せな後日談。亮太さんとの思い出の酒場で今の夫と知り合った
由里さんにはすごい後日談がある。亮太さんと別れた直後、現在の夫である哲也さん(40歳)と知り合った。出会った場所はなんと亮太さんが連れて行ってくれた立ち呑み屋だ。
「亮太さんと付き合っていたことは飲み仲間には特に話していません。一緒に飲みに行ったときも、カウンター席に座って他のいろんな人たちと話すことが2人とも好きでした。その立ち呑み屋のママさんも私たちの関係は知らないと思います」
ママさんがその場に来ていた独身の哲也さんを紹介してくれた。明るくてよくしゃべるオシャレな会社員だ。亮太さんと同じく、酒場の人気者なのだろう。お酒を飲んで会話することが好きな由里さんは、そのような人に心惹かれる傾向があるのだと思う。
哲也さんも積極的で、LINEを交換したらすぐに次回の飲みに由里さんを誘い、2週間後に実現。「付き合おうか」と告白をしてくれて、「子どもができてもいいね」と話していたら由里さんは本当に妊娠。今年3月にいわゆる「授かり婚」を果たした。出会いから約半年後のスピード婚でもある。
「亮太さんからは今でもたまにLINEが来ます。『コロナ、大丈夫?』ぐらいの内容です。新しい彼氏ができたことは伝えていますが、結婚や妊娠のことはまだ話せていません。当たり障りのない返信をしています」
亮太さんはやや身勝手な寂しがりで、その浮気性は変わらないはずだ。新たな転勤先で飲みに付き合ってくれる女性ができたら由里さんへの連絡は減る気がする。そういう性質の人間なのだ。だから、しばらくは無視しても問題ない。20年後に酒場でばったり再会しても、何事もなかったように楽しく飲み交わせるだろう。今の由里さんは哲也さんとの幸せだけを追求すればいいと筆者は思う。
※登場人物はすべて仮名です。
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大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
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