イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
韓国映画『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョン似の美女との衝撃的な出会い
「猟奇的な彼女、、、」と題するメールが送られてきたのは昨年6月のことだ。送り主は橋本健さん(仮名、44歳)。医療機関で専門職として精力的に働いている既婚男性だ。仕事の合間に本連載を読んでいたところ、「自分の失恋の思い出が止めどなく溢れ出る状態」になってしまったらしい。ちょっとお待たせしたが健さんの思い出を聞き取り、失恋ミュージアムに飾ることにしたい。
韓国映画『猟奇的な彼女』は、美人だけど破天荒な性格の女性に振り回される主人公をコミカルに描いて大ヒットした作品。「彼女」役を演じたのは韓国を代表する女優の一人であるチョン・ジヒョンである。
健さんは大学で韓国語を学び、20代頃は「弟的な存在」の韓国人男性とルームシェアしていた経験がある。現在の仕事に就く前は整体師だった。その頃に出会ったのがまさに映画の中のチョン・ジヒョン似のハチャメチャな韓国人女性だったという。本稿では彼女をジヒョンさんと仮に呼ぶことにする。
「出会いからして猟奇的でした。友人の彼女として紹介されたのに、翌日には私の家で一緒に寝ていたのですから……」
学生時代、韓国語の勉強を兼ねて複数の韓国人学生と文通をしていた健さん。そのうちの一人が日本語学校の学生として来日することになった。2002年の1月、健さんが26歳のときだった。
「私のペンパルである男性とジヒョンは、大邱市という韓国第三の都市出身の同郷でした。ペンパルはそれで彼女に愛着を持っていたようです。すごくキレイな人ですしね。でも、彼女のほうは『勝手に彼女扱いしないで』という態度だった記憶があります」
風邪を引いて寝ていたら彼女から電話。「オッパ、ケンチャナ(お兄ちゃん、大丈夫よ)」
健さんたちは日本有数の韓国人街である東京・新大久保の韓国料理店で食事をした。すぐに3人とも大酒飲みであることが判明。朝まで眞露(韓国の焼酎)を飲み続けたところ、健さんは風邪を引いて寝込んでしまった。
ルームメイトである弟分はホテルのアルバイトで夜勤がある。一人で寝ていたところ、ジヒョンさんから電話があったのだ。オッパ、ムォヘ?(お兄ちゃん、何してるの?) 再び飲みの誘いである。
風邪を引いてそれどころではないと伝えたところ、ジヒョンさんは「オッパ、ケンチャナ(お兄ちゃん、大丈夫よ)」と続けた。日本の薬より効く韓国の風邪薬を持って看病に行く、というのだ。
「家に来るなり、甲斐甲斐しく鍋料理を作り、薬を飲ませてくれて……。いい雰囲気の中でエッチまでしてしまいました」
マンガのような、いや映画のような展開である。当然、健さんは「こんなキレイな人と付き合えたらいいな」と舞い上がった。言語を学ぶほど興味がある国から来た女優のような美人で、セックス付きの看病までしてくれたのだから当然である。
DV男から彼女を助けたい! 冷静な判断をできなくさせる恋愛感情の魔力
しかし、ジヒョンさんはまめな性格ではないらしく、健さんが連絡をしても何回かに1回かしか返事が来ない。気持ちを伝えてもはぐらかされてしまう。
翌月はバレンタインデーがある。健さんがちゃんと付き合おうと申し込んだところ、「実は彼氏がいる」とジヒョンさんに言われてしまった。同じパチンコ店でアルバイトをしている日本人男性らしい。
「それでも私はジヒョンとの関係をダラダラと続けてしまいました。その男は彼女に暴力をふるうようで、なんとか自分が助けることはできないのか、と思っていたんです。彼女とは体の相性が良いこともあり、のめり込んでしまいました」
冷静に考えると自分が二股をかけられているのに、なぜかその相手を助けたいと思ってしまう。性愛も含む恋愛感情の魔力である。
以来、4年間にわたって健さんとジヒョンさんは「つかず離れず」の関係が続いた。毎週のように会うこともあれば、数か月間も連絡を取り合わない時期もあり、会えば飲み交わして一緒に寝た。セックスだけでなく、会話も楽しかったしお互いにメリットもあったと健さんは振り返る。
「韓国語ができて、ちゃんと話を聞いてくれて日本語の勉強も手伝ってくれる日本人男性は珍しいので、彼女からは感謝されていました。私も貴重な体験をさせてもらったと思います。大学で学んだ韓国語は標準語ですが、彼女が話すのは大邱市がある慶尚道(キョンサンド)地方の方言です。そのイントネーションなどを教えてもらって楽しかったです」
「ごめんね」「そうなんだー」 あっさりと終わった最後の会話
4年後、別れは突然にやってきた。2006年春のことだ。いつものSNSを使って連絡を取ったところ、ジヒョンさんからは「私、韓国にいるよ」との返事。健さんには何も言わずに帰国していたのだ。
「ごめんね」
「そうなんだー」
最後の会話はそれで終わってしまった。以来、ジヒョンさんと連絡を取り合っていない。彼女とまた親交を深めたいという気持ちは健さんにはないのだ。
「妻との今の生活が大事ですから。今にして思うと、じっとしていることができない情緒不安定な人でした。貯蓄には関心がなく、化粧品などのお金もかかる人だったので、もしも一緒に暮らしていたら、当時は整体師だった私の稼ぎでは生活できなかったでしょう」
それでも定期的にジヒョンさんのことを思い出す。当時、ジヒョンさんと会ったことがある韓国人の友人が東京で焼き肉店をやっており、店で飲み交わすたびに彼女の話になるのだ。
「あの女、変な女だったね。今ごろ、何してるのかな?」
口の悪い友人もジヒョンさんのことは気になり続けているようだ。彼女に未練はない健さんとしても、印象深い大切な思い出だ。
「あんなすごい美人と私が一緒に寝たりできるのかという驚きが今でも残っています。現実とは思えません」
韓国に興味と好意を持ち続け、弟分の韓国人男性の面倒をみてきた健さん。ジヒョンさんはそんな健さんに舞い降りた美しい夢だったのかもしれない。現実のジヒョンさんは今ごろ大邱市で肝っ玉母さんになっている気がする。
※登場人物はすべて仮名です。
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大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
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