イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
心惹かれるままに食事をともにした。お互いに家庭を壊すつもりはなかった
浅黒い肌にはっきりとした目鼻立ち。髪型はオシャレな七三分け。細身の体は爽やかなクレリックシャツと上品なスーツで覆っている。ある国家資格の職業に就いている影山順司さん(35歳)は、できるビジネスマン風の雰囲気を漂わせている男性だ。
ここは東京・新宿の繁華街にある和食料理店。テーブル越しにスーツ姿の順司さんと向き合うと、ヤングエグゼクティブを接待している営業マンのような気分になった。しかし、挨拶を交わしてしばらく会話をしていると順司さんは純情で真面目な性格であることがわかる。都内の有力私立大学の出身者だが、学生時代は発展途上国でバックパッカーをして回り、国内外の貧困問題に取り組むことを心に決めた。
そんな順司さんが1年半前に失恋をした相手は、8歳年上の綾子さん。同業の先輩である。順司さんも綾子さんも既婚者であり、子どももいる。お互いに家庭を壊すつもりはなく、心惹かれるままに食事を何度かともにしたに過ぎない。それでも順司さんには強い恋心が残っている。
「同業の集まりで顔を合わせることもあるので、今でもたまには連絡を取り合っています。でも、二人きりで会うことはもうないでしょう。本音を言えば会いたいですよ。会いたい。けれど、そういうわけにはいかないんです」
おっとりしているように見えた妻。共働きの子育て中で今は余裕がない
綾子さんとの出会いと別れを聞く前に、20代後半で国家資格を取得してからの順司さんの生活を確認しておきたい。やはり同業者である妻の恵理さんとの出会いは、資格取得者対象の研修でのことだった。
「一緒にいる時間が長いので、恋愛が起きやすい環境です。特に女性は、この期間のうちに将来の結婚相手を見つけようと焦る人が多いと思います」
社会的なステータスが高い職業に就いていると、男性はモテて女性は敬遠される傾向があるのは否めない。いわゆる上方婚・下方婚の名残である。ただし、現代のエリート男性は結婚相手にも自分と同じレベルの学歴や職歴を求めることが多い。「同等婚」というべきだろうか。そのため、同じ業界や会社で働く男性はキャリア女性にとって最も狙い目となる。
関西地方にある研修所に行く前に、順司さんには3年間ほど付き合ってきた恋人がいた。同じ国家試験を目指して勉強していた仲間でもある。しかし、恋人のほうは試験に落ちてしまい、先に合格した順司さんとは遠距離恋愛になってしまったことで彼女の精神状態は不安定になった。
「夜に電話をしていてケンカになり、朝まで電話を切らせてもらえなかったこともあります。怖かったです……」
そんなときに出会った恵理さんは「おっとりしているように見えた」と順司さんは苦笑しながら振り返る。話を怒らずに聞いてくれるだけで癒されるのを感じた。
「2歳の息子がいる今は違いますよ。妻はかなり余裕がなく、おっとりはしていません。保育園には朝は私が送り、夕方は妻が迎えに行きます」
同業の共働きなので、家事や育児を分担するのは当然だ。ただし、夜は遅くまで残業できる分だけ順司さんのほうが気楽な立場ではある。今日のインタビューのように夜の会食を入れることも可能だ。
同業の美しい先輩から無償の支援をしてもらった感激。それはすぐに恋心に変わった
綾子さんと出会ったのは4年前。順司さんはすでに結婚していたが子どもはおらず、今以上に自由な時間があった。忙しい業務の間を縫って参加した同業者によるボランティアサークルで先輩の綾子さんを見かけたのだ。
「彼女には当時、3歳の子どもがいました。第一印象は『キレイな人だな。年齢は離れているけれど普通に話せるな』と思ったぐらいです」
その後、順司さんが綾子さんに急接近する出来事があった。サークル活動の中で順司さんが貧困問題に興味があることを綾子さんに伝えたところ、その分野の有力な専門家をわざわざ紹介してくれたのだ。
「子育て中で大変なはずなのに、私のためにそこまでしてくれたことに感激しました。私の関心事に共鳴してくれたのも嬉しかったです」
純情な順司さんにしてみれば、同業の先輩から無償の支援をしてもらったことは感激に値するのだ。その相手が美しい異性であれば恋心が生じるのは自然なことかもしれない。綾子さんのほうも若くて真っ直ぐで見た目もいい後輩だからこそ、順司さんを格別に可愛がろうと思ったはずだ。
比較しては可哀想だが、妻の恵理さんは「あなたがやりたければやればいい」と流す程度で、共感したり支援したりはしてくれない。恵理さんは順司さんの同期で年齢は1歳下。当時は結婚したばかりで、仕事と新生活を両立させながら子作りにも励まなければならないというプレッシャーが今以上に強かったはずだ。貧困問題に共鳴しなくても責めることはできない。
順司さんはそのことを理解しながらも、綾子さんへの想いを抑えることはできなかった。それからは頻繁に綾子さんと夕食をともにするようになったと明かす。
「と言っても、お互いに仕事も家庭もあるので月に1、2回程度です。サークルの人の噂話や守秘義務に反しない程度に仕事の話をすることが多かったですが、私が貧困問題でやりたいことを聞いてもらうこともありました。彼女も一時期は同じく貧困問題に取り組んでいた時期があったそうで、私の話に心から賛同してくれたんです。毎回、会うことがすごく楽しみでした。年上の彼女に甘える気持ちもあったのだと思います」
思いのたけを書いたラブレター。今の気持ちを彼女にとにかく伝えたかった
順司さんは母親も同業であり、年の離れた姉は海外で専門家として働いている。女性が外で活躍するのが当たり前の家庭で育ち、母も姉も尊敬をしている。年上の賢い女性と交際する素地は十分にあるのだ。
ただし、順司さんはなぜか年下の女性と付き合うことが多かった。年長の自分がリードしなくては、といつも気を張っていたことを綾子さんと一緒にいて気づいたという。
「食事に誘うのは基本的に私からですが、彼女がお店を選んでくれたときはご馳走してもらっていました。値段がわからないぐらい高級な創作イタリアンなどです。彼女も旦那さんが同業で、私たちの業界の中ではトップクラスの高給取り。家計に余裕があるのでしょう。彼女は食事の後は常にタクシーで帰って行きました」
都会の夜に、名残惜しそうにタクシーを見送る順司さんの後ろ姿が目に浮かぶような話である。順司さんの想いはさらに高まり、長文のラブレターを書いて綾子さんに渡したこともある。
「なぜ好きになったのかを素直に書きました。その先にどうなるのかはわからないけれど、今の気持ちをとにかく伝えたいと思ったのです。彼女からはメールで『嬉しかった』と返信をもらいました」
ちなみに順司さんは妻の恵理さんに手紙を書いたことは一度もない。順司さん、この話は決して恵理さんに知られてはいけない。遠い将来、もしも恵理さんと離婚することになっても墓場まで持って行くべきだと思う。
心の中で恋をするのは自由。好きな人の夢を支援することで恋心を昇華したい
綾子さんと定期的に会うようになって1年ほどが経過したころ、別れの季節が訪れた。綾子さんが2人目の子どもを妊娠したのだ。
「ダンナさんともうまくいっているんだな、と思ってしまいました。出産するとなるとプライベートがさらに大変になるので、このまま会い続けるのはまずいかなと感じたんです。明確な別れの言葉はありません」
その頃には順司さんの家庭にも子どもが誕生していた。自分の子どもが生まれても気持ちは変わらないが、好きな女性と夫との間に子どもができるとショックを受ける。男性的な考え方である。
いま、順司さんには「恋人」はいない。妻子がいるので当然なのかもしれないが、順司さんは「心の中で恋をする分には自由だ」と感じている。
「外形的な不倫は良くないし、下手をすると離婚することになってしまいます。私は妻子と別れたいわけではありません。今後、素敵だなと思う人に出会ったら、その人の夢を支援することで自分の気持ちを昇華させていこうと思っています。綾子さんが私にしてくれたように……」
パトロンやタニマチのような発想である。好きな異性に対して性欲を中心にぶつかっていくのが若者だとしたら、相手と自分の立場を考えて欲望は抑えながらも「支援」という形で愛情表現をするのが大人なのかもしれない。
※登場人物はすべて仮名です。
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大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
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