6年の月日を経ても縮まらなかった二人の距離〜せめて最後の区切りをつけたかった〜

イラスト:新倉サチヨ

ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。

胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。

結婚の話はシャットアウトする彼。理由は「仕事が忙しい」

老若男女の失恋話を聞き取って保存する本連載。ようやく20回目を迎える。過去の記事を振り返ってみて思うのは、「別れ際が潔い男性は皆無に等しい」こと。ほとんどの男性は交際の最終段階で見苦しい印象を相手に残している。偉そうに書いている筆者も他人事ではない。過去に付き合った女性たちと偶然再会したら思わず目を伏せてしまうような別れ方ばかりだ。ああ、恥ずかしい……。

<6年ほど付き合った彼と数カ月前に音信不通のまま終了しました。仕事を理由に結婚の話は逃げるようにシャットアウトされ、私の最後のお別れのラインも未読無視のままです。彼がズルくて悪い奴なのか、単に精神的に弱くて逃げたのか、よくわからないまま終わってしまいました。>

こんなメールが編集部宛に届いたのは昨秋のことだ。送り主の佐藤紀子さんは愛知県内で会社員をしている45歳の女性。38歳のときから付き合ったという彼もいい年齢だろう。逃げるように人間関係を終わらせるなんてイカンなあ。名古屋市内のホテルのロビーラウンジで紀子さんと会い、話を聞くことにした。

「有料の婚活サイトで出会いました。彼の見た目は普通のおじさんです。でも、嫌ではありませんでした」

少し緊張した様子で話してくれる紀子さん。相手の智裕さんは4歳上の中肉中背で、初回からゴルフファッションのようなチノパン姿で現れたらしい。「普通のおじさん」と言われても仕方ないが、清潔感はあったのだろう。男性の外見にこだわりはない紀子さんは「誘ってくれたらまた会ってもいい」と感じた。マイナスでもプラスでもない、ゼロ地点からのスタートである。

デートはすべて彼主導。食事代も出してくれる。これはバブル期?

一方の智裕さんは紀子さんを大いに気に入ったようだ。毎週のようにデートに誘ってくれて、自家用車でドライブ。食事代などはすべて払ってくれる。

「以前に年下の男の人と付き合ったときは近所を散歩して食事代などは割り勘だったんです。それに比べるとバブル期のような付き合い方だな、と思いました。インドア派の私は一人で本を読むのが好きだったりするので、そんなに遠出をしなくてもいいのですが、彼はとにかく車で遠くに行くのが好きだったようです。岐阜や静岡などにも行きました」

デートの振る舞いは「男らしい」智裕さんだが、大事な局面で逃げる傾向は当時から見え隠れしていた。何度会っても手もつながず、「付き合おう」という言葉もない。半年後、しびれを切らした紀子さんが「毎週末会い続けているけれど、私たちは付き合っているということだよね?」と問いかけると「そうなんじゃないの?」と答えをはぐらかした。

一方でドライブデートの行き先はさらに遠くなり、箱根や四国を泊りがけで巡ることもあった。智裕さんは旅先の食事にもこだわり、高価な外食店に紀子さんを連れて行く。支払いはすべて智裕さんだ。

「男の人で職業もシステムエンジニアだから人付き合いには不器用なのかな、と思っていました。おいしい店に連れて行ってくれることが私に対する精一杯の愛情表現で、言葉で表すのは苦手な昔気質の男性だと思っていたんです」

智裕さんは車と外食が好きで、それに付き合ってくれる女性がほしい。だけど責任は負いたくない人なのだと客観的には思う。しかし、恋愛には魔法の要素があり、紀子さんの目には「昔気質の不器用な男性」に映った。魔法が続いているうちに智裕さんは勇気を出して本当の大人になるべきだったが、彼が変わることはなかった。

ずっと実家暮らしで上司と会社の愚痴ばかり。あなたは人のありがたみを知らないの?

その証拠の一つが、40代半ばで左遷されるまでは実家暮らしをやめられなかったことだ。紀子さんにとっては唯一、彼に改善してほしい点だった。

「私は早くから実家を出ています。一人で生活することはリスクもありますが、だからこそ人のありがたみがわかったり寂しさを感じたりできると思うのです。精神的に成長します。なぜか私の家にも来たがらない彼に一人暮らしを何度も勧めました。でも、『考えたことがない』の一点張り。一人っ子だから親に甘えるのが普通なのでしょうか……。私には理解できませんでした」

口には出せなかったが、他にも不満はあった。結婚を急いでいないし子どもを作る気持ちもない紀子さんだが、パートナーとは何でも話し合って理解し合える関係を築くことを望んでいた。ささやかだけど大切な望みと言えるだろう。しかし、智裕さんは一方的に仕事の愚痴を言い続けるだけで、紀子さんの仕事の話を聞いたり意見を求めたりすることはなかった。

「彼は新卒入社でずっと同じ大企業に勤めています。愚痴の内容は上司が無能で組織は腐っている、などです。そんなに嫌な会社をなぜ辞めないのでしょうか。『給料が半分になってもいいから辞めればいいじゃない。どうにかなるよ』と言ったのですが聞く耳を持ちませんでした」

智裕さんは仕事の忙しさを理由にして連絡が滞るようになり、デートの回数も半減した。付き合い始めて3年も経過しているのに距離感がまったく縮まらない。この先をどう考えているのかと問い詰めると、「忙しくて考えられない。別れようか」との答え。しかし、付き合いが長くなると愛着を持つ性質の紀子さんは簡単に別れることはできなかった。何とか修復できるのではないかと思ってしまった。

せめてハグしてほしい。別れ際に抗議しながら泣いたあの頃

そのうちに智裕さんは半強制的に一人暮らしを始めることになる。上司と衝突したことが原因で広島県の拠点に左遷されたのだ。本人はひどく落ち込んでいたが、紀子さんは「面白そう」だと感じた。彼が初めて実家を出ることも嬉しかった。

「知らない土地での一人暮らしが寂しかったのでしょう。別れを告げたはずの私に頼って来ました」

智裕さんからの連絡が再び頻繁に来るようになり、紀子さんも何度か広島へ遊びに行った。しかし、なぜか男女関係がない。ハグすらしてくれない。まるで友だちに会いに行っているようだ。

「近づいても払いのけられるようなことが続いて、帰り際に抗議しながら泣くことがありました。ハグだけでいいのに……。すると彼は不機嫌になり、『僕が嫌な気持ちになる。せっかく久しぶりに会ったことが台無しだ』と言うのです。私をお母さん代わりにしていただけなのかもしれません」

最後に彼とラインのやりとりをしたのが昨年の初夏。本当に恋人なのかもわからない遠距離恋愛が何年も続くことに業を煮やした紀子さんが<私たち、この先どうする? いろいろ考えていきたい>とメッセージを送ったところ、彼からは<毎回、そんな嫌なことを言う。もう終わりにするしかないよね>との返事。慌てた紀子さんが<いきなりそんな結論ではなく、ちゃんと会って話したい>と返したところ既読スルーとなった。

「3カ月経っても何の連絡もないので、私も別れる覚悟を決めました。でも、自分の中ではっきりさせたいので、<私たちは別れたってことだよね。今までありがとう。いろいろしてくれたこと、感謝してる>といったラインを送りました」

そして、冒頭のメール内容につながる。今に至るまで智裕さんは逃げ続けている。ほぼ50歳の大人がこんな卑怯で幼稚な別れ方をするのか。紀子さんは怒り呆れつつ、自省もしている。

「私は昔からちょっと変わった人が好きになるんです。斜に構えてネガティブなことを言い続けている人の話をつい聞いてしまいます。どうしてそんな考え方をするのか、心理学的な興味を持つのだと思います。智裕さんも個性的でした。いい意味での個性じゃなかったけれど……」

紀子さんは智裕さんのような人を愛することは二度とないだろう。だからこそ、甘えん坊で身勝手で臆病な彼との思い出は当ミュージアムで永遠にお預かりする。紀子さんは前を見て歩めばいいのだ。そして、思いやりと常識の上に個性を育んでいる男性と出会ってほしい。

※登場人物はすべて仮名です。

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大宮冬洋(おおみやとうよう)

1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。

2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。

著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。

公式ホームページ
https://omiyatoyo.com

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