35歳の彼が全力でぶつかった恋の行方〜最初から答えは分かっていた。でも、伝えたかった。〜

イラスト:新倉サチヨ

ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。

 

全力で告白して、きっちりとフラれた。青春期みたいな恋愛

平日の夜に、東京・西新宿の高層ビルに入っている日本料理店に行った。窓ガラスの向こうでは小雨が降っており、ビル群の灯りは涙のようににじんでよく見えない。

予約席で先に待っていてくれたのは、医療関連企業で働いている木村幸平さん(仮名、35歳)。ノーネクタイのスーツ姿で、女性的だと思うほど物腰が柔らかく、約束の時間ギリギリに到着した筆者を丁重に迎えてくれた。愛嬌のある顔立ちにポッコリお腹は、お笑いタレントの塚地武雅に少し似ている。聞けば、以前は営業職を務めていたらしい。誰からも親しまれそうな風貌は仕事にも大いに役立ったことだろう。話し方にも誠実さがにじみ出ている。

「青春みたいな恋愛をしたばかりです。全力で告白して、きっちりとフラれました。こんな経験は社会人になってから一度もありません。一生、忘れないと思います」

笑顔で語る幸平さんだが、相手の玲子さん(仮名、30歳)に「きっちりとフラれた」のはわずか3ヶ月前のことだ。失恋の傷口はまだ癒えてない。

「今でも思い出すことがあります。通勤途中の駅で乗り換えるときや、婚活サイトでお見合い相手を探していて玲子さんと同じ趣味の女性を見かけたときに、彼女の顔や話が頭に浮かぶんです。自宅で1人だったりするとウワーッと声を出して泣いちゃうこともあります。寝る前にまどろんでいるときに思い出すのが一番苦しいですね……」

 

周囲から聞こえ始めた「低い評価」。追い詰められた彼女を支えたい

出会いは2年前にさかのぼる。幸平さんと同じく転職組として入社してきたのが玲子さんだった。担当部署が異なる幸平さんは「かわいい子だな」と思ったぐらいで、職場の休憩室や飲み会でたまに言葉を交わす程度の間柄だった。

そのうちに玲子さんの「低い評価」が周囲から聞こえ始める。彼女は仕事ができない、融通が利かない、という内容。高学歴だが不器用な玲子さんは、上司の意図をくんで効率的に作業を進めることが下手なのだ。

幸平さんと玲子さんが珍しく長話をしたのは昨年の5月だった。お互いに定時で帰ろうとした際に社内で顔を合わせ、1時間も立ち話をしたと幸平さんは懐かしそうに振り返る。

「私は会社の研修で傾聴スキルを学んだばかりで、人の話をよく聞くことには自信があります。玲子さんは建設的な意見をどんどん言ってくれて、アイディアも豊富でした。医療業界の先を見据えた考え方をしていてすごいな、おとなしそうだけど芯がある人なんだな、思いました。どうしてみんなが彼女のことを悪く言うのか不思議です。あの瞬間に私は彼女のことが好きになったのでしょう」

好奇心が強い幸平さんは、自分ができない発想をする人を好きになる傾向がある。尊敬できる人は男女を問わず応援したい男性なのだ。もちろん、玲子さんの外見も好みだった。

「私はものすごくキレイな人は苦手です。CGみたいに現実感がないので……。玲子さんは色白の丸顔でスラッとしています。でも、出るところは出ている魅力的な女性です」

職場で孤立気味だった玲子さんにとっては、部署が異なるのにきちんと話を聞いてくれる幸平さんは「優しい先輩社員」だったに違いない。秋口になると、2人は会社帰りに夕食を一緒に食べに行くことも増えた。

「と言っても、月に1回程度です。玲子さんはお酒をほとんど飲まないので適当な定食屋に入って話すことがほとんどした。話題は仕事が中心です。彼女は箱入り娘で、すごく常識的なところと世間知らずなところが混在しています。どんな人なんだろう、と関心が深まりましたね。でも、プライベートなことには踏み込んじゃいけない気がしていました。彼女には恋人がいるとうすうす気づいていたので、ちゃんと聞くのが怖かったんです」

 

彼女が好きなのは自分ではなく、スマートで優秀で子どもっぽい上司

声を震わせる幸平さん。実は、玲子さんは社内に恋人がいた。幸平さんと同い年の健二さん(仮名)で、玲子さんにとっては直属の上司にあたる。さわやかな外見で、極めて優秀。業界の将来を背負う人材であることを認められている。ただし、性格はやや子どもっぽいところがあるようだ。

健二さんが他の人と同じように玲子さんへの低い評価を公言していることを幸平さんは知っていた。明確な指示を出せない部長の下で玲子さんが困っていることを知りながら、健二さんは彼女をちゃんとフォローしない。自分の恋人にもかかわらず、だ。

追い詰められた玲子さんは今年に入ってから退職を決意する。その後、健二さんも会社を辞めて研究者として大学院に戻ることになった。その決断についても幸平さんは納得がいかない。

「玲子さんはいま、やりたいことのために勉強をがんばっているそうです。それなのに彼氏が年収を大幅に下げる転職をするなんて……。独身なんだから好きなことをしていい、という考え方なんですね。彼女との将来を真剣に考えていないのでしょうか」

玲子さんのことが今でも心配な幸平さん。もしも自分が彼女と付き合えていたら、彼女の生活と夢を全力で応援したのに。自分のことなんかどうでもよかったのに。どうして自分を恋人に選んでくれなかったのか。

 

「とても尊敬しています。好きです!」 夜のカフェで愛の告白

受け入れてもらえないことを知りつつも、幸平さんは思いのたけを玲子さんにぶつけることにした。玲子さんの最終出勤日の夜である。

「夜は彼氏との予定があると思って、お昼に誘ったんです。でも、玲子さんは後片付けが大変過ぎてお昼には行けなかった。夜なら大丈夫だと言うので、カフェでコーヒーを飲みながら待ちました。彼女が来られたのは19時頃だったと思います」

2人掛けのソファ席とはいえ、駅前によくある全国チェーンのカフェである。色気も何もない。もう少し素敵なお店に移動して、美味しいものでも食べながら口説くことは考えられなかったのか。

「彼女は疲れ切っていたので食事するどころではありませんでした。それに、私の気持ちを切り出したら、2人ともそれだけでお腹いっぱいになってしまって……。結局、閉店時間まで4時間以上をそのカフェで過ごしてしまいました」

まさに青春である。幸平さんの口から出てきた言葉は愛情に満ちた簡潔なものだった。

「とても尊敬しています。好きです!」

玲子さんもさすがに幸平さんからの好意に気づいていたはずだ。しかし、あまりに率直な告白に驚いたらしい。

「ずいぶんストレートに言うんですね。びっくりしました」

そして、真剣な表情で玲子さんは話し始めた。他の部署なのにここまで自分のことを気にかけてくれたのは幸平さんだけだったこと、どのように答えれば誠意のある答えになるかわからないけれど自分には恋人がいるので幸平さんの気持ちには応えられないこと。ずっと隠していた恋人の名前も明かした。幸平さんの推測通り、健二さんだ。

 

玲子さんにとって、幸平さんはかけがえのない「薬」

「知っていますよ。あなたのことをずっと見ていたから、すぐに気づきました。バレバレです」

幸平さんはこのように言うのがやっとだった。玲子さんによれば、仕事がうまくいかずに辛かったときに最初に支えてくれたのが健二さんだったという。

幸平さんからすれば、健二のフォローは十分ではない。彼は裏で玲子さんの悪口も言っている。しかし、真面目さがカラ回って苦しんでいた玲子さんにしてみれば、仕事ができる直属の上司である健二さんに心の拠り所を求めたのだろう。なお、二番目に支えてくれたのは幸平さんだったという。

「私はいつも遅いんです。玲子さんに告白ができたのも、彼女が会社を辞めるとわかったから。今後、会社で毎日顔を合わせることがないので、周囲から変なことを言われる恐れはありません。こんなに臆病だから、『毒にも薬にもならない人』と女性から言われるのでしょう。男として見てもらえません」

そんなことはない。少なくとも玲子さんにとって、幸平さんはかけがえのない「薬」だった。社会人としても女性としても幸平さんが全身で認めてくれたからだ。

いま、玲子さんは新たな目標に向かってがんばることができている。幸平さんはときどき玲子さんを思い出してせつなくなりながらも、「秋までに結婚相手を見つける」ことを目指して婚活中だ。

2人が再び顔を合わせることはないかもしれない。しかし、それぞれの胸の奥には、あの夜のカフェでの対話が懐かしく温かい思い出としていつまでも刻まれている。

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大宮冬洋(おおみやとうよう)

1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。

2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。

著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。

公式ホームページ
https://omiyatoyo.com

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