イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
モテないほうではない私。でも、30歳を目前にして結婚にすごく焦った
結婚と恋愛は異なるものだが、2人が惹かれ合って求め合うことには変わりがない。ただし、結婚には生活や家族が伴うため、別れるときの痛みは恋愛とは違ったものになる。共に過ごしてきた人生の期間を無駄にしたような、虚しくてせつない気分である。
都内の金融機関に勤務している藤原洋子さん(41歳)は、前夫である医師の勝彦さん(46歳)と2018年の春に離婚した。関西地方で結婚したのが30歳のときなので、ちょうど結婚10年目に別れたことになる。
上品な顔立ちで細身の洋子さん。仕事帰りだからなのか、きちんとした洋服を着こなしている。独身だと言われなければ、子どもを有名私立に通わせている美人ママといった風情だ。
彼女と会う約束をしたのは東京のJR中央線沿いにあるアジア食堂だった。やや場末感はあるがダシのきいたおいしいタイ料理を出してくれる。離婚で疲れ気味の洋子さんとゆっくりとお酒を飲みながら食事するには向いている店だと思う。
「関西にいた頃は公務員をしていました。モテないほうではなかったので、20代の頃は長く付き合った恋人もいました。でも、結婚すると思っていた人と別れてしまって、気づいたら30歳が目前。すごく焦って、大手の結婚相談所に登録しました」
優しそうな雰囲気の美人で、仕事は手堅い公務員。29歳。一般的な結婚相談所には真面目で奥手で「子どもが欲しい」男性会員が多いため、洋子さんのようなスペックの女性にはアプローチが殺到する。
「一部上場企業に勤務する30代、という高めの条件でも選びきれないぐらいたくさんの男性と会うことができました。でも、『どうしたい?』といちいち聞いてくるような人たちばかり。30人ほど会ったところで疲れてしまい、どんな男性と結婚すればいいのかわからなくなりました。だから、一番積極的に来てくれた人と結婚したんです」
眠れないほどの痛みがある難病を抱えた夫。めげずに一生懸命生きていた彼が好きだった
一番積極的にアプローチしてくれた人。それが勝彦さんだ。彼には東京でクリニックを開業する予定があり、それについて行く形で洋子さんは公務員を辞めて都内の金融機関に転職した。勝彦さんは無事に開業したものの持病が悪化してしまう。
「眠れないぐらいの痛みがある難病です。3回ほど入院もしました。でも、めげずに一生懸命生きていた彼が好きだったんです。本もたくさん読んで、趣味も多くて、好奇心がいっぱい。可愛らしい人だと思っていました」
子どものような純心が魅力だった勝彦さん。その裏返しとして、我がままで他人を思いやれないという欠点があった。
「2人で出かけていた帰りに私が玄関のカギをすぐに取り出せなかったり、海外旅行の飛行機チケットを彼が希望していた時間の1時間前のものにしてしまったり。ちょっとしたミスをすると人が変わったように怒るんです。『人間として最低だ』なんて言われました」
勝彦さんの欠点はセックスにも表れた。愛撫に時間をかけずにいきなり挿入するのだ。とにかく痛かったと洋子さんは振り返る。
「彼はそうすることが男らしくて女が喜ぶものだと思い込んでいたんです。キツイことを言われていたこともあり、離婚する半年ほど前にはセックスレスになっていました。ときどき一緒に入っていたお風呂も別です。彼に触られるのが怖くなっていました」
ただし、転職と引っ越しまでして結婚をして10年近く連れ添って来た勝彦さんと離婚する気はまったくなかった。男女関係としては冷めてきているけれど、彼の暴言に我慢さえすれば共同生活は続けていける。料理をはじめ家事をきちんとやっている自信もあった。洋子さんも協力して食事療法を続けたところ、勝彦さんの病気はほぼ直ったのだ。
彼に尽くした10年間はどう償ってくれるのか。女性の年齢は取り戻せない
ここで勝彦さんは驚きの言葉を口にする。「子どもが欲しいので若い女の子と結婚する。君とは離婚したい。君は僕とのセックスを拒否しているので十分に離婚事由になる」とまくしたてたのだ。
「やっと体調を心配せずに2人で旅行ができるようになった矢先でした。私は40歳だったのでもう子どもはいらないと思っていたんです。どうしても欲しいならば養子でもいいと思っていました。でも、彼には変な親友がいて、5人もいる恋人たちに対して『妊娠したら結婚する』と宣言して、そのうちの1人が実際に妊娠したので結婚しました。彼はそれがうらやましくなったようです」
洋子さんはあまりのショックで食事がのどを通らず、よく眠れないようになってしまった。しかし、10年近くも一緒に暮らしていた人とそんなに簡単に離れることはできない。恋愛感情は消えていても家族としての一体感はあったのだ。
「別れ話が出ていてもクリスマスプレゼントの交換はしたし、おせち料理を作るための食材を買ったりしていたんです。依存関係にあったのだと思います。でも、彼とのことを関西の両親に話したら激怒されて、『すぐに帰って来なさい』と言われました。食材を無駄にするのはもったいないので、ローストビーフやいくらを手作りして冷蔵庫に入れてから私だけ帰省しました。年明けに返ってきたら、彼は私のおせちを完食していたんです。そして、『結婚相談所に登録したので1月中に離婚届を出したい。
勝彦さんにも言い分はあるのかもしれない。しかし、洋子さんが言っていることがすべて事実だとしたら勝彦さんは「人格障害」という別の病を抱えていると感じてしまう。洋子さんは離婚して正解だったかもしれない。ただし、代償は大きかった。
「彼がクリニックを開業するときに私が出資したお金だけは返してもらいました。でも、それだけです。彼に尽くした10年間はどうしてくれるのでしょうか。女性の年齢は取り戻せません。その分の慰謝料も払ってほしいと思いましたが、弁護士からは『それは無理』と切り捨てられました」
オレ様タイプで酷い目に遭って来た。だから、男性からグイグイと迫られると怖い
救いはある。安定収入を見込める金融機関の職場で正社員として働き続けていることだ。洋子さんは中央線沿いの小さな町に部屋を見つけ、心の傷を癒しながら一人暮らしをしている。
「リハビリだと思っていろんな場に顔を出して、自分から男性に声をかけることもあります。だからといってあちらからグイグイ来られると『怖い』と思ってしまいます。今までオレ様タイプの男性で酷い目に遭って来たので……。社内には地味で真面目な独身の男性は残っています。でも、10年も働いてきた今から社内恋愛をするのは難しいです」
洋子さんの好みをあえて聞くと、「ちゃんとした文章が書ける人」「海外を含めて行動範囲が広くて好奇心が旺盛な人」という答えが返ってきた。キレやすい勝彦さんのことを思い出すのか、「おおらかな人」を付け加えることも忘れない。
「どんな男性と付き合えばいいのか、自信がありません。前夫に未練はありませんが、男性不信になっていると自分でも感じています」
洋子さんが負った傷を癒すためには何よりも時間が必要だと思う。性急な相手は避けていいし、自分も焦ってはいけない。
「最近は不思議な男性からアプローチされています。2カ月ほどLINEでやりとりをしているのに会おうとはまったく言ってこないんです。先日、ようやく食事に誘われました」
洋子さんに聞く限りでは、彼もバツイチで多趣味だけれど控えめな性格らしい。年齢は洋子さんの一回り上。美しい洋子さんに一目惚れして、だけど無理はせずに少しずつ親しくなりたいと思っているのかもしれない。
洋子さんのように賢い女性はまったく同じ過ちは繰り返さない。知的で好奇心が旺盛な男性が好きだという傾向は変わらないものの、思いやりのない「オレ様」には二度と近づかないだろう。洋子さんの人生はまだ折り返し点すら迎えていない。辛い経験を糧にして、穏やかで幸せな生活を手に入れる季節がすぐそこに来ている。
※登場人物はすべて仮名です。
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大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
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