イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
「申し訳ない」と「腹立たしい」が混在した思いを抱えて
「今から思うと、あれは恋愛ではなかった気がします。彼に対しての思いは、申し訳なさと腹立たしさの両方です」
東京・代々木上原の中華料理店に来ている。化学調味料を使わない優しい味の料理で有名なお店だ。カウンター席で隣り合っているのは、都内で一人暮らしをしながら契約社員として働いている坪田直子さん(43歳)。人懐こい笑顔で明るい印象の女性だが、今日はためいき混じりで声も小さめだ。
直子さんは今、他人には言いにくい恋の最中らしい。こっそり話してもいいけれど文章にしてほしくないという。その気分は筆者にもなんとなくわかる。まだ熱すぎる感情は失恋ミュージアムに寄贈することはできないのだ。現在進行形の恋は、一人きりで喜びと苦しみを味わい尽くすものだと思う。
2年ほど前に終わった恋愛関係についてならば寄贈してもいい、と直子さんは言ってくれた。恋愛感情をちゃんと持つことができないままに6年間も交際し、途中からは不安やプレッシャーで辛い思いをしたという。今でも「申し訳ない」と「腹立たしい」が混在している。彼に対しても、自分自身に対しても。
気遣い上手の細やかな男性。でも、私は好きじゃない
出会いは、直子さんが34歳のときにネットで見つけて参加した社会人向けのマラソンサークルだった。サークルの主催者は1年半後に交際することになる6歳年上の洋一さんだ。
「登録者数はたくさんいて、大会に参加するときも20~30人ぐらい集まっていたと思います。女性比率は3割ぐらいなので、主催者の洋一さんは私を大歓迎な様子でお世話をしてくれました。走り方を教えてくれたり、飲み会ではいろいろ話しかけてくれたり……。おもてなしの人なんです」
ここで余談になるが、筆者は飲み会の幹事やサークルの主催者はモテやすいと感じている。場のリーダーであり、責任を持ちつつも気を遣う役回りなので、頼もしく輝いて見えるのだ。参加者の連絡先は当然ながらすべて把握している。イベントが終わった後、お礼のメッセージを受け取ることも少なくないだろう。気になっている相手だったら、返信で「こちらこそありがとうございました。よかったら今度ゴハンに行きませんか?」と誘えばいい。
しかし、直子さんは洋一さんに対して「私とは合わない」と感じてしまった。彼の細やかな気遣いはむしろ裏目に出たようだ。
「参加者としてはありがたいと思いました。でも、私は大らかな男性が好きなんです。同じリーダータイプでも、周囲の反発などを気にせずに臆面もなく主張するような人に心惹かれます。洋一さんは細かすぎるので、ちょっと疲れるなと最初は思っていました」
洋一さんは自営業で、背が低く、小太り気味だ。ただし、直子さんは職業や外見にこだわりはない。スマートな大企業正社員を求めているわけではないのだ。当時は結婚よりも恋愛を求めていて、「性格を好きになったら見た目も好きになる」自信もあった。洋一さんの繊細な性格がどうにも好きになれなかったのだ。
「キスしてもいいですか?」「もちろんダメです」
一方の洋一さんは直子さんを最初から気になっていたようだ。当初は同じサークル内に恋人がいたが、別れてからは直子さんにやや性急なアプローチをした。直子さんがサークルに入って約1年後の夜だった。
「みんなで飲みに行った帰りに、彼が駅まで送ってくれたんです。そのときに『キスしてもいいですか?』といきなり聞かれました。サークル内で気まずくなりたくないので、『何言ってるんですか~。もちろん、ダメです。今後は気をつけてください』と笑いながら断りましたよ」
その後、洋一さんにチャンスが巡ってくる。直子さんが仕事で大変なことがあり、「誰かに話を聞いてほしい。甘えさせてほしい」という気持ちになったのだ。直子さんに好意があり、まめな性格である洋一さんがこの機を逃すはずがない。
苦しいときに手を差し伸べてくれる人に心を開くのは男女に共通した現象だろう。すがるような気持ちで連絡をして、快く助けてもらったときの喜びとありがたさ。それが恋愛感情に変化することがあっても不思議ではない。ただし、直子さんは「恋愛感情はないけれど生理的に嫌ではなかった」と微妙な言い方をする。
「ぜひ触りたいというわけではなく、触られても嫌じゃない、という程度です。付き合い始めて会話は楽しいと思いました。彼は頭がいい人で、興味があることを次々に広げていくことができるんです。コンサルティングのような仕事もしていて、一緒に通っていた安くておいしいお蕎麦屋さんをマネジメントの観点から分析して誉めたりしていました。家族経営なのに指揮命令系統が優れている、などの意外な指摘をするんです」
2人は週1ペースでデートを重ねるようになり、半年後にはマラソンサークルのコアメンバーにも交際を報告。すべては順調に進むかに見えた。
あの頃の自分を叱りたい。38歳なんだからもっと結婚を焦れよ、と
しかし、付き合って3年ほどが経過した頃、洋一さんの事業が傾き始め、繊細な彼はストレスからうつ病を患ってしまう。
「そのときになって、彼は『直子とはきちんとしようと思っていた』と結婚をほのめかすんです。健康と仕事を取り戻すほうが先でしょ、と言ってしまいました。私も不安だったんです」
直子さんの対応は当然だと筆者は思う。相手が弱っているときに支えたい気持ちでプロポーズをするならばわかるが、自分が弱っているときに現実逃避や依存心で結婚を求めてもうまくはいかない。大人同士がしっかりと結ばれるためには、「愛されるより愛するほうが幸せ」という余裕のある心持ちが不可欠なのだ。
2人は一度は別れを決意した。しかし、直子さんは深い悲しみと自己嫌悪に襲われてしまう。自分自身も30歳前半に大病を患い、回復までに長い時間を要した経験がある。だからこそ、苦しそうな洋一さんを支えるべきなのではないか。
肉親であっても愛情ではなく義務感だけで世話をするのは難しい。相手が他人であればなおさらだ。
「あのときにきっぱり別れていたら傷は浅かったと思います。経済的にも追い詰められていた彼に合計で100万円以上渡しました。彼はプライドが高い人なので、私に対してずっと負い目を感じているはずです」
途中で何度か別れながらも6年間に渡って洋一さんとの付き合いが続いた。ちゃんと別れたとき、直子さんは41歳になっていた。
「彼との時間がすべて無駄だったとは思いません。でも、半分にすればよかった。最初の3年間はいい思い出が多いからです。後半に関しては自分を叱ってあげたい。38歳なんだからもっと結婚を焦れよ、と言いたいです」
彼からの辛い質問。「ホントにオレのことが好きなの?」
洋一さんの事業が傾かず体調を崩すことがなかったら、結婚して幸せに暮らしていけたのだろうか。直子さんは静かに否定する。
「共同生活はできただろうと思います。でも、彼は私のことが女性として好きなのに、私は最後まで彼に恋愛感情を持つことはできませんでした。『直子はホントにオレのことが好きなの?』と聞かれてしまったことが何度もあります。辛かったです」
片想いをするのは苦しい。しかし、義理も情もある相手から片想いをされて、自分はその気持ちに応えきれない場合もやはり苦しみを味わう。何をしても相手を傷つけ、自分も悲しい思いをすることになる。だからといって上手にごまかして逃げてしまうと人生の醍醐味を失うことになるだろう。
直子さんは逃げなかった。ギリギリまで洋一さんと向き合い、そして力尽きた。その経験が無駄だったとは筆者は思わない。直子さんは、いつの日か、穏やかに愛し合い支え合えるパートナーと巡り合える気がする。
※登場人物はすべて仮名です。
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大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
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