こんにちは!幸せ大学のぶんぶん学長です。
皆さん、年末の慌ただしい時間をどのようにお過ごしでしょうか?
先日、仕事でインドネシアジャカルタに行く機会がありました。二回目のジャカルタですが、現地に親しい友人がおり、自分の希望通り、取材のアテンドしてくれ、ひどい交通渋滞に見舞われながらも、取材やミーティングをスムーズに行うことができました。
そして、合間に美味しいお店に連れて行ってもらって、散々、美食とお酒をたらふく楽しんだ結果、調子に乗って暴飲暴食し過ぎて体調を壊し、インドネシアを出国する前夜からダウンしてしまいました。
しかし、ホテルは予約が詰まっていて、延泊できず、そんな体調の中でシンガポールに向かわなければいけないと言うことになってしまいました。
ほとんどまともに立っておられずに、大型のタクシーで横になりながら空港に向かい、ほうほうの体でシンガポールへ移動しました。
シンガポールでは動画の撮影や重要なミーティングがあったので、寝込んでいるわけにもいかず、気力で全てを完了させました。もちろん胃腸の調子が悪いので70時間以上食事をとらず、水を少しずつ飲むだけの状況でした。
そして、3日以上何も食べないと人間はあっという間に体重が落ちてしまうことを経験しました。
体がヘロヘロで力が入らず、何も食べられず、異国の地で絶体絶命の状況になった時、頭によぎることは「ちゃんと自分をコントロールしておけばこんなに辛い思いをしなくてもよかったのに」と後悔の念が大きくなることです。ダメな自分を責めてしまうのです。
日本で普通に暮らしていると体を壊す事はなかなかありませんが、それゆえに健康のありがたさや自分の体のキャパシティを超えないようにするコントロール力を感じる力がどんどん忘れていくように思います。
そして、環境が変わり、このように病気になると、いつも自分の身体が意識せずに最適な状況で動けるように調整してくれていることが分かるし、そのありがたさを感じる良い機会になります。
何かの記事で「幸せな人とは幸せがたくさん訪れてくる人ではなく、自分の身の周りにある小さな幸せを感じ取れること、見つけることのできる能力の高い人」と書いていましたが、その能力を高める一つの要因が病気なのかなと思いました。
幸せ大学を通じて様々な幸せな人たちの考えに触れることが多くなりましたが、例えばガンのような難病にかかっている人が「私はこの病気になってとても幸せだ!」と言われるケースがあるのを以前は不思議に思っていました。
でも自分が実際、ままならない病気になってみると、日常のありがたさ、普通の状況をキープしていることは当たり前のことではないことがくっきりと見えてきます。きっと命を左右するような病気を体験すると、大きく視点や価値観が変わることによって今まで見えてこなかった幸せが明らかになるのかなと感じています。
つらいことや困難なこと、病気になったり、怪我をしたりなど、その時に本人にとってはあまりありがたくない事でも、視点を変えると幸せにグッと近づくチャンスだったりするのではないかと思っています。
自分が意図せず、病気になったり、怪我したりして、ままならなくなった時、この記事のことを思い出して頂くと、その意味が分かってくる一助になるのかなと。
人生に無駄なことなど一つもないんだなと思う今日この頃です。
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