イラスト:新倉サチヨ
ふとした瞬間に、昔すごく好きだった人の面影や言葉が頭をよぎることがありませんか。
胸の内にしまっておいてもいいけれど、その人を美化しすぎたり悲しみが恨みに変わったりすると心が不安定になりかねません。美しくも苦しい強烈な恋の記憶は「博物館」に寄贈してしまいましょう。当館が責任を持ってお預かります。思い出を他人と一緒にしみじみと鑑賞すれば、気持ちが少しは晴れるでしょう。ようこそ、失恋ミュージアムへ。
初対面は薄暗い部屋。彼はキラキラと光を放って見えた
「ロールプレイングゲームを全クリ(完全制覇)したヒロインの気持ちです。よくあるストーリーだとヒーローと結婚して終わるのですが、私たちはそういう結末ではありません。でも、あのプロジェクト以上のミッションは私の人生にはないと思っています。私が生まれてきた意味だと言ってもいい。何の悔いもありません。いま、死んでもいいです。ヒロインの余生は語られないでしょう? 」
東京ステーションホテルにあるイタリアンレストランに来ている。やや大げさな心境を語ってくれるのは、広告制作会社に勤務する西牧晴子さん(36歳)。装飾がたくさんついたブラウスと真っ赤な口紅。人懐っこい笑顔のユニークな女性だ。ゲームやマンガを愛するオタク系女子でもあるらしいが、オタク度の低い筆者にもきさくに接してくれる。
彼女にとってのヒーローである孝明さん(37歳)と出会ったのは5年前、2013年のことだった。孝明さんはデザイン会社に勤める中堅のデザイナーであり、晴子さんにとっては仕事相手の部下だった。
「初対面は今でも覚えています。打ち合わせの部屋は薄暗かったのですが、彼はピカピカキラキラと光を放っていました。私の脳内でイケメンオーラを受信したのだと認識して、会社に帰って来てから女性の同僚に話したんです。すごいイケメンのデザイナーを見つけた、と。当然、盛り上がりますよね。でも、半年後ぐらいに写真を見せる機会があったら、同僚たちから嘘つき呼ばわりされました(笑)」
孝明さんの雰囲気が好み過ぎて、脳内で外見をイケメン変換してしまったのだ。わかりやすい一目惚れである。ただし、恋愛経験の少ない晴子さんはそれが恋だとは気付かなかった。デザイナーとしての腕前にも「まだまだこれからの人」という評価。晴子さんが行動に出ることはなかった。
「助けてください」「はい。何ですか?」で恋に落ちた私
2年後に2人の距離を急速に縮める出来事が起きた。晴子さんが進めていたプロジェクトの担当デザイナーが急病にかかったのだ。納期までに制作物が仕上がらないかもしれない。晴子さんはすでに独立をしていた孝明さんのことを思い出し、すがるような気持ちで電話をかけた。
「私はパニックに陥っていたので、思わず電話で『助けてください』なんて言ってしまったんです。そうしたら、彼は『はい。何をすればいいですか?』と即答してくれました。めっちゃカッコ良くないですか? しかも、彼は2年間ですごく成長していて、プロジェクトの穴を十二分に埋めてくれました。これで私は(恋に)落ちてしまいました」
ピンチのときになりふり構わずに助けてくれる人は頼もしいし好ましい。そこからの晴子さんの行動は早かった。急な依頼に応じてくれたお礼という名目で孝明さんを食事に誘い、「お一人でしょうし、栄養はちゃんと取っているんですか?」と探りを入れたのだ。
「一人ではないです」
孝明さんの答えは微妙なものだった。晴子さんは「ご家族がいらっしゃるんですか? お子さんは?」とさらに追及することはできなかった。
「彼女さんと同棲している、という意味だと思いました。それなら私もイケる!と嬉しくなったんです」
前向きすぎる解釈である。その頃、晴子さん自身も会社を辞めてフリーランスの制作プロデューサーとして活動することを決めていた。孝明さんとはぜひ組んで、彼の才能を十分に生かせるような作品を作りたい。それが完成した暁には、孝明さんに告白をして結ばれたいと願っていた。
「日本を変えられるような有意義な作品です。実際、それが完成してベストセラーになった今、いろんなところで反響が広がっているのを感じます」
「運命の人」は既婚者だった。悲しみで食べられなくなり20キロやせた
晴子さんは仕事と恋愛を混同するつもりはなかった。制作途中の打ち合わせの前日、「明日は肝心なことを聞きたいと思っています」とのメールを送った。孝明さんがなぜクリエイターになったのか、その本質を知りたいと思っていた。
「彼は私の恋愛感情に気づいていたのだと思います。その日に限って結婚指輪をはめてきたんです。告白されると勘違いしてけん制したのでしょうか。聞いたら、1年前に私を助けてくれたときにはすでに結婚していたことがわかりました。『一人ではない』って結婚しているという意味だったんですね。いやらしい男!と怒るのは逆恨みでしょうか……」
帰宅してから泣き続け、3日間は食事もできなかったと振り返る晴子さん。同居している両親には理由を話した。「それはそれは。大変だね」とそっとしておいてくれたのがせめてもの救いだった。
「今では元に戻ってコロコロと太っている私ですが、そのときは20キロも痩せてしまいました。街中のカップルやマンガの恋愛シーンを見るだけで、彼と奥さんの様子を想像してしまってつらいんです。パックの中で寄り添っているようなエリンギを見ても悲しくなりました」
エリンギに嫉妬するとは重症である。精神的にギリギリの状態になった晴子さんは「日本語が通じない場所に行きたい」と思い至る。孝明さんが結婚していることを知ってからわずか2週間後に5泊6日のアメリカ一人旅を決行した。
旅を終えた頃、少しは客観的に考えられるようになっていた。孝明さんと作品制作のプロジェクトを続けるのはつらい。しかし、いま手放してしまったら何も残らない。
「私は子どもの頃からクリエイター志望でいろんなことに手を出してきました。でも、クリエイターにはなれず、中途半端なスキルだけをたくさん持っています。彼を支えてプロジェクトを進行するときに、その雑多なスキルをすべて活用することができました。私の人生をすべて意味づけてくれたと思っています」
ずっと支えたい。私の人生を意味づけてくれた彼に恩返しをしたいから
5年前、孝明さんと初めて出会ったときのことを思い出す。彼がキラキラと光って見えたのは、「運命の結婚相手だから」だと思い込んでいた。
「でも、違いました。実際には『あなたの夢をかなえてくれる特別な人だよ』と神様が教えてくれたんです。私はそれで良かったと思っています。もしも恋愛が成就していたら、あのプロジェクトは絶対に完成しなかったからです」
孝明さんはプライベートなことはあまり語りたがらない性格で、仕事の場に妻が現れたことは一度もない。「夫婦で仕事をするのはオレには絶対無理」と言い切っている。
だからと言って、晴子さんは恋心を消せたわけではない。今でも孝明さんの制作の手伝いをしているが、彼の家庭のことは耳に入れたくないのだ。
「子どもがいるのかどうかも知りません。聞きたくないんです。彼もそれを知っているので、大勢の飲み会で家庭のことを話さざるを得なかったときは後から私に『ごめんね』と謝って来ます。ああいうときの男性の心理、よくわかりません……」
晴子さんによれば、孝明さんはかなりの「人たらし」だ。晴子さんとのプロジェクトの成功も影響してデザイナーとしてかなり有名になったいま、全国に顧客がおり、各地に晴子さんのようなファンやボランティアスタッフがいるのだ。
「私はその中のひとりに過ぎません。でも、彼の仕事を手伝うことで私も勉強になるし、いろんな人と知り合うこともできます。私の人生に意味づけをしてくれた彼に恩返しをしたい、という気持ちも薄れていません」
晴子さんはまだ36歳。今まで生きてきた時間の倍以上の人生が残されている。孝明さんとの仕事を通して自信をつけた今から本当の「ゲーム」が始まるのではないだろうか。失恋をしてこそ、人は強く優しい大人になるのだと思う。ヒロインの冒険譚の第2章に期待したい。
※登場人物はすべて仮名です。
<お知らせ>
あなたの「忘れられない恋」の思い出を聞かせてください。年齢、性別は問いません。掲載は匿名です。詳しくはこちら↓をご覧ください。
取材OKの方を大募集!! あなたの忘れられない恋を過去の物語にして、次に進むステップにしてみませんか?
大宮冬洋(おおみやとうよう)
1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に入社するがわずか1年で退社。編集プロダクション勤務を経て、2002年よりフリーライター。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。自主企画のフリーペーパー『蒲郡偏愛地図』を年1回発行しつつ、8万人の人口が徐々に減っている黄昏の町での生活を満喫中。月に10日間ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験しつつ取材活動を行っている。読者との交流飲み会「スナック大宮」を、東京・愛知・大阪などで月2回ペースで開催している。
著書に、『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)、『人は死ぬまで結婚できる~晩婚時代の幸せのつかみ方~』(講談社+α新書)などがある。
公式ホームページ
https://omiyatoyo.com
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。